夜更けに水野敬也さんのブログ「ウケる日記」を通読しようとした話

2017年4月11日

つい先日のことなんですけどね、春休みですっかり生活リズムが狂いきってしまったので、AM3時を過ぎても一切眠気がなかったんですよ。

そこで僕はあることをしようと思い立ったんです。

水野敬也さんのオフィシャルブログ「ウケる日記」を一気読みしようと。

というのは、最近読んだ斉藤孝さんの「語彙力こそが教養である」に、「気に入った著者を見つけたら、その人のアウトプットを全て読め」と書かれていたことを覚えていたからです。

ちなみにこれは素晴らしい本で、何が素晴らしいってエピソードの豊富さが半端じゃない。

「Aさん、なんで仕事しないのに偉そうなんだろう」と愚痴が出たとき、「きっと、鶏がら的なポジションなんだよ」と言えば、しっくりくるし、笑いも起きる。それに、ドンピシャな表現に爽快感まで得られます。これは、「三国志」に出てくる「役に立たないが、捨てるには惜しい」という意味の「鶏肋」を共有しているから交わせるコミュニケーション。

作家の先生たちの間ではどうやらこんなユーモアと知的センスにあふれた会話が交わされているそうで、古典の1つも読んだことのない僕は当然こんな場面に遭遇したことはないのですが、漠然とした憧れを覚えるわけです。

 

話を戻しますけれども、お恥ずかしい話ですが、僕が水野敬也さんを知ったのはかれこれ半年ぐらい前のことで、それまでにも恐らく「夢をかなえるゾウ」だとか「LOVE理論」といった単語は聞いたことがあると思うんですけども、作者の方を意識したことはなかったんですね。

 

いつものようにネットサーフィンをしていたある日、何かの縁で水野さんのブログを見つけたわけですが、その時の僕の受けた衝撃といったらもうすさまじいものでした。

まるでアルファベットに初めて出会った中学生のような、目の前に並んでいる言葉が僕の知っている言語とは別物であるような、そんな新鮮な気持ちが僕の中を駆け抜けていったんですよ。

 

 

それからはもちろん欠かさず水野さんのブログをチェックし、その軽快な表現と豊かな描写に感銘を受けていたわけですが、悲しいかな、平々凡々たる僕には「すべての記事を通読してみる」という発想がありませんでした。

「語彙力こそが教養である」の「アウトプットすべてに触れよ」という言葉は、すっと身体の中に入ってきて、僕の中に根を張りました。

かくして、「水野さんのブログを通読する」という試みが行われたのです。

 

 

軽い気持ちで始めた試みですけど、水野さんのブログの面白さと、僕のやりだしたらとことんハマる性格が相まって、時間はどんどん過ぎていくわけです。

気付いたら時計の針は(僕の部屋の置時計はデジタルなので厳密には針はないんですけど)5時を指してたりするわけですよ。

 

それでね、これは自分でも気づかないうちになんですけど、いやほんとに無意識といって差し支えないぐらいに自然に、ガムを噛んでたんですね。

僕の机の上にはボトルガムが常時おかれてるんですけど、いつの間にかそこから1粒2粒と取り出して噛んでいたわけです。

普段はそんなことはなくて、むしろあごを鍛えるために意識して噛んでるぐらいで、そんな僕がガムをとめどなく噛み続けていたんです。

 

これはなんでだろう、こんな時間だからだろうか、腹が減っているからだろうか、はたまた集中力が切れてきたのかとか考えてたんですけどね、そのうちに1つの閃きが降りてきたんですよね。

それはまさに閃きという他なくて、まさに真っ暗な頭の中に一本の光が見えたかのような、進むべき道が示されたかのような、そんな感覚だったんですけども、気づいてしまったんですよね。

 

 

あ、眠いんだ。って。

 

 

人間の三大欲求というものがいかに力強いかっていうことはね、ともすれば忘れられがちだと思うんですよ。

1食や2食食べなくても問題ないし、その気になれば1週間オナ禁だってできるし、1晩ぐらい起きていられる、みんなそう思っているでしょ?

でもね、無理なんですよ。

いかに面白いコンテンツを目の前にしようと、いかに無意識に逆らおうとしようと、眠いものは眠いんですよね。

僕らは言うなれば本能という従者のもとで、ほんの少しの自由を許されている馬車馬のようなもので、コースを外れようとすれば否応なく鞭で打たれてしまうんですよ。

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日記

Posted by ハレ


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