概説西洋哲学史~なぜ日本に哲学は存在しなかったのか

なぜ日本に哲学は生まれなかったのか。

中学あるいは高校の社会の授業であなたはそう思いませんでしたか?

僕は全く思わなかったですね(笑)

しかし言われてみれば、西洋史では「我思うゆえに我有り」のデカルト、「人間は考える葦である」のパスカルなど著名な哲学者が必ず紹介されるのに対し、日本史で哲学者が紹介されることはほぼありません。

近代になって西田幾多郎(1870~1945)などの哲学者が日本にも現れたようですが、それまで日本における「哲学」の存在感は驚くほどに希薄でした。

 

ここから興味を持って西洋哲学について少し勉強したのでそのアウトプットとして、なぜ日本で哲学が生まれなかったのかに触れながら西洋哲学史を簡単に解説していきます。

 

 

ソクラテス以前の思想

なぜ日本に哲学が生まれなかったのかをお話しする前に、西洋哲学の起源に触れておきましょう。

西洋哲学は「ソクラテス、プラトン以前」「プラトニズム」「ニーチェ以後」に大きく分類できます。

 

古代ギリシア早期、「ソクラテス、プラトン以前」の時期の思想家たちにとって、この世界は自ら生成するものであり、この世界は万物であり、全てはこの世界でした。

人間はこの世界の一部であり、この世界から生まれてこの世界に帰っていくものだったのです。

日本人の思想と同じですよね。

実は西洋哲学も初期は日本と同じような世界観を持っていたのです。

 

 

ソクラテスの土台

しかしながら、ソクラテス、プラトンの登場によって自然の見方が変わります。

ソクラテスと言えばご存知「無知の知」の人です。

彼は「無知であることを自覚している自分は知識があると思っている他人よりは賢い」ことを悟り、あらゆる知を否定していくことで全ての人は無知であることを啓蒙しようとしました。

結局は当時の政治体制や賢人たちを否定しまくった結果裁判に訴えられて殺されるのですが、彼の既存の知をことごとく否定する態度は彼の弟子に影響を与えました。

プラトンが、それまでの「この世界が全てである」という考え方を脱し、「プラトニズム」と呼ばれる西洋哲学の源流を確立します。

 

 

プラトンとイデア論

プラトンといえば「イデア論」です。

イデア論とは簡単に言えば「物事には魂の目でしか見ることができない真の姿があり、この世界はいわばその模像に過ぎない」ということです。

何言ってるかわからないですね。具体的に説明します。

これは何でしょう。そう、三角形です。

しかしながらこの図を部分的に分解していくと、

こういう感じのドット状の線になりますよね。

あれ?これって本当の三角形じゃないですよね?とプラトンは言うわけです。

 

そもそも定義通りに言えば「線」は幅のないもので肉眼では見えないものなんですよね。

当然線で書かれた「本当の」三角形や四角形も肉眼では見えないわけです。

しかしながらあなたは「本当の」三角形を概念として理解しています。

これはなぜかと言うとこの世界とは別の「イデア界」に本当の三角形が存在し、それを「魂の目」で見ているからからなんですね。

 

このように現実世界はイデアの似非的な現れでしかない。というのがイデア論の概要です。

 

彼の本質的な業績は「この世界を外から見れる立場を設定したこと」にあります。

この世界とは別の世界に存在する「イデア」を設定したことで、この世界が何であるかという問いをこの世界の外から考えられるようになったのです。

 

すなわち、この世界を決定している別の世界、規定の存在を考えられるようになったということですね。

ソクラテス以前はこの世界が全てだと考えられていたが、ソクラテスによってその思考法の否定が試みられ、その影響を受けたプラトンがこの世界全体を定めるルール(別世界)があるという見方を構築したのです。

 

 

なぜ日本に哲学が存在しなかったのか

既にお気づきかもしれませんが、日本に哲学が存在しなかった理由は、日本では「自分たちはこの世界の一部である」「この世界が全てである」という認識がひっくり返されることがなかったからです。

むしろそれはこの世界に生きている上では自然な認識であり、この世界を規定している世界を想定した西洋が異端だったとも言えます。

「哲学がないから日本の精神的文化は・・・」などと言う人もいますが、ごくごく当たり前なことなのです。

これらは思考体系の違いであり、どちらが優れているといった話ではないでしょう。

もちろん言い方によっては「日本にはソクラテスのような偉大な思想家がいない」となるのですが、逆に「既存の知を全て否定するなんてペシミスティックな皮肉家でしかない」ともいえるわけです。

 

 

プラトニズムの時代

彼の弟子であるアリストテレスはイデア論を批判し、この世界の最終形としての「神」を定義します。

彼は「すべての物は何かになる可能性を秘めたもの(可能態(デュナーミス))とその可能性を実現したもの(現実態(エネルゲイア))である」というものの見方をします。

例えば、魚は料理になる可能性を秘めたもので、料理はその可能性が実現されたものであると同時に肥料になる可能性を秘めたものである、といった具合です。

こうしたすべての物は何かになる過程にあるという世界観の中で、すべての物の可能性が実現された世界を「神」と呼び、最終的な理想形として定めたのです。

 

確かに彼の議論はイデア論と対立的なところがあります。

イデア論において、現実世界の全てのものはイデアの現れでありこの世界のもの同士の結びつきはたまたまのものです。

しかしこの考えでは、芽が成長してやがて木になるといった連続的(に見える)事象を説明するためにどうしても無理が生じます。

一方アリストテレスの議論は自然の対象に対してもうまく機能するように見えます。

そうした意味ではアリストテレスがイデア論を批判し、異なる理論をくみ上げたのは事実なのですが、共通項もあります。

 

それは「この世界を定めるルール(別世界)がある」という見方です。

アリストテレスは全ての可能性が実現された、この世界の究極の形を「神」と呼びます。

アリストテレスはイデア論を批判しながらも、プラトンの業績の本質的な部分は引き継いだのです。

 

プラトンとアリストテレスの理論は時代によってかわるがわる西洋の哲学の主流となり、文化や思想に大きな影響を及ぼします。

こうして以降の西洋哲学は「この世界を定めるルール(別世界)がある」という見方を踏襲していきます。

 

 

我思う故に我有り

さて、話は大きく飛びます。

アリストテレスが活躍したのが紀元前4世紀のお話。

「我思う故に我有り」のデカルトが生まれたのは16世紀末です。

この間、西洋哲学ではプラトン(とアリストテレス)を起源としたものが脈々と受け継がれてきました。

 

しかしながらこの時代になって、ガリレオやダヴィンチ、ケプラーといった人たちが自然を数学で表すことを試みます。

今でこそ当たり前となっていますが、当時の人達にとって自然を数学で表すというのは不思議な事だったのです。

自然は自分達の外部にあるものであり、感覚的経験によって与えられるものです。

しかしながら数の観念や幾何学的図形の観念は、経験から与えられたものではありません。

プラトン的に言えば「イデア」を「魂の目」で見ることによって得られるこの観念を、以後のキリスト教との結びつきにより、当時の人は「神が人間をつくるときにつけたもの」だと考えていました。

そうすると、神によって与えられた観念がわれわれの外部にある自然の諸性質に適応できるというのは当たり前ではなくなります。

これに対する理由づけをデカルトが行ったわけです。

 

デカルトは「方法的懐疑」という手法を用いて絶対的真理の獲得を試みます。

全てのものの存在、主張の正しさを疑った結果、彼は「そんな風に疑っている私」は確実に存在するという結論に至ります。

もちろん「そんな風に考えている私」の存在も疑うのですが、それを疑えば疑うほど「そんな風に考えている私」は実在することになるからです。

 

精神の存在を出発点としてデカルトは、精神が知覚するものだけが存在すると言います。

注意してほしいのは、この「精神」は方法的懐疑の段階で肉体とは分けられているということです。

デカルトにとって肉体というものは存在しているか疑いうる→存在しないものとして扱う対象であり、当然肉体に付随する目、耳、鼻といった感覚器官はないものとして扱われます。

すなわち、精神が知覚するものとはそうした感覚器官から得られる情報を含まない、物体の空間的拡がりとその運動だけであるとデカルトは言うのです。

 

まとめると、デカルトにとってこの世界の真の姿は存在が証明された精神によって知覚されるものだけで成り立っており、それは物体の空間的拡がりと運動のみであるということですね。

 

 

方法的懐疑の意義

デカルトの偉大さは「人間の精神がこの世界の真の姿を決める」と結論付けた部分にあります。

すなわち、プラトン以後の西洋哲学において考えられてきた「この世界を定めるルール(別世界)」は「人間の精神」だという考え方を作ったわけです。

もっとも、厳密に言えばデカルトの理論は人間の精神を神から与えられたものだとしているので、実際に神から独立して人間理性のみがこの世界を定めるルールだという見方が生まれるのはカントの登場後の話になります。

 

 

理性主義と経験主義

さて、デカルト以後の17世紀後半、デカルトの理論から「人間の精神(以降は理性と呼びます)は神から与えられたものである」という部分を排し、「(神という後ろ盾に関係なく)人間理性が知覚する世界が真の世界である」という理論の確立が試みられます。

しかし、そうすると当然「神という後ろ盾なしになぜそう言えるのか」という疑問がわきます。

当時の理性主義的な哲学はそうした疑問に十分にこたえることはできませんでした。

後ろ盾のない、独断的な論に陥ってしまったのです。

 

それに対抗して主張されたのがイギリス経験主義と呼ばれる考え方です。

ロック、バークリ、ヒュームといった思想家によって受け継がれたこの考え方は、「人間の認識はすべて感覚的経験だ」と主張します。

すなわち、「神が人間をつくるときに精神をつけた」ことによって得られると考えられていた「数の観念」や「幾何学図形の観念」に関する普遍性を否定し、「自分たちの全ての認識は経験にもとづくものだ」と言ったのです。

しかしこれは数学や物理学の普遍性をも同時に否定します。

「5+3=8」といった足し算の妥当性さえも、経験にもとづく漠然としたものになってしまったのです。

 

カントはこれらの主張の「いいとこ取り」をしようと考えました。

すなわち、人間の理性によるこの世界の認識が絶対に正しいと言えるのはどの程度の範囲かを見極めようとしたのです。

 

 

純粋理性批判

純粋理性批判とはカントの主著で、人間の理性による認識はどこまで正しいのかを、理性の自己批判によって明らかにしたものです。

カントは、「人間の見るこの世界は理性というレンズを通しているのだから、この世界に関して言えば、世界の普遍的な法則を人間が認識できるのは不思議ではない」と言います。

すなわち、人間の見る対象がどのようなものかは経験しないと分からないが、その対象にどのようなレンズがかけられて我々に見えているのかは理性的に知ることができるということです。

 

こうしてこの世界をレンズを通した世界としてみることで「神という後ろ盾なしに人間の理性がこの世界を決定する」ことが確立されました。

 

 

ニーチェによる転換

さて、プラトンによってこの世界を定めるルール(別世界)が想定され、デカルトとカントによってそのルールは人間の理性であるという考え方が確立されました。

こうした、人間の理性を自然の上におく考え方のもとでヨーロッパの技術文明は発達していきました。19世紀半ばになると産業革命がヨーロッパ中に広がり、科学的な未来が現実のものとなっていました。

 

そうした中で、プラトニズムを真っ向から批判したのがニーチェです。

ニーチェは、プラトニズム、あるいはそれと結びついたキリスト教は、人間を生から遠ざけるものだと言います。

生とはこの世界の本来のあり方で、絶えず変化し生成し続けていくことを指し、常に大きくなろうとする性質を持っています。

 

私たちは、絶えず変化する世界の中で自分の場所を確認し、よりよい状態を実現していくことで本当の生を全うできる。

しかしながら、自分の場所を確認しなければならないために、私たちは、この世界はルール(別世界)によって定められた安定した世界である、と錯覚してしまったのだ。

そうニーチェは述べます。

 

絶えず変化する混沌の中で(すなわちどうするのが「良い」のかも分からない状況の中で)、よりよい状態を常に目指していくためには自分の中に確固たる価値観念(信念)を持っていなければならず、それを持っている人が「超人」なのです。

 

そしてニーチェ自身にとっては、芸術とそれに付随する美がそうした価値観念でした。

ニーチェのこうした考え方は以降の思想家に大きな影響を与えます。

 

 

日本の世界観とニーチェ

ニーチェの初期の研究はソクラテス以前のギリシア悲劇に関するものでした。

そこから当時の西洋哲学の元となるプラトン以前の哲学、すなわち、この世界が全てであるといった世界観に関する考察を得たことは間違いないでしょう。

 

この世界は絶えず変化し、この世界を定めるルールなど存在せず、混沌の中でよりよい状態を目指すことで生を全うできる。

こうしたニーチェの考え方は、どこか日本人の世界観に通じることがあると思うのは僕だけでしょうか。

 

ニーチェまでの西洋哲学史の概要と、私たちからは異質な印象を抱きがちな西洋哲学にもソクラテス以前、そしてニーチェといった、日本的なものもあるということを押さえて頂ければ幸いです。

 

 

この記事を書くにあたって、木田元さんの「反哲学入門」を参考にさせて頂きました。

深く感謝申し上げます。

 

スポンサーリンク


PAGE TOP