物事に熱くなれなくなったのはいつからだろうか

2017年10月12日

今でも夢に見る。

初夏の快晴の日、蒸し暑い日。中学校最後の大会、延長戦で敗れて芝の上で泣いた日を。

嘘だけどね。

 

 

当時僕がどれぐらいサッカーに情熱を持っていたかは正直よく分からない。

もちろんサッカーは今も昔も一番好きなスポーツだし、サッカー部に所属していた僕は毎日のようにボールを蹴っていた。

 

ただ僕の通っていた中学校はサッカー部の顧問がサッカー未経験の、ラグビーをやっていた方だった。

指導の基本は走ることと激しい守備で、体罰はなかったがよく怒鳴る先生だった。

戦術的な指導、テクニカルな指導というものはほぼなかった。

中学校の先生にそこまで求めるのは酷だということは今ならわかるのだけれども・・・

 

もちろん走ることと激しい守備それ自体は戦術として「アリ」だ。

ただそれは、僕達とはあまりにも噛み合わせが悪かった。

そもそも中学生なんてみんなバルセロナみたいな華麗なパスサッカーに憧れるものだし、まして僕達の代は中途半端に上手い奴がそろっていた。

自慢ではないが(自慢できるほどのレベルでもないが)小学校のサッカークラブには優秀なコーチがいて、県べスト4まで勝ち進んだこともあった。

 

そんな僕達とその戦術(と指導)の相性は最悪で、表立って反旗を翻す奴もいた。(というと物騒だが、反抗期の中学生のすることの範疇である)

そうでなくても、身近にいる大人の影響というのはやはり大きいもので、自己主張の強いやつがミスしたやつを怒鳴りつけるチームになっていた。

 

そんな状況だったから果たして僕がどれほどの熱意を持ってサッカーをし、大会に臨んでいたかは定かでないのだけれども、それでも負けて、泣いた。

その日は平日で、本来ならば試合の後学校に戻って授業を受けなければいけなかったのだけど、真っ直ぐ家に帰って、泣いた。

 

 

 

高校では部活をやらなかった。

今までずっとサッカーをやってきたし遊びたいだとか、(高校のサッカー部は弱かったので)どうせやるなら勝ちたいだとか格好つけて言っていたけれども、今振り返ると「なんとなく疲れていた」のが真実だと思う。

自分の理想とは全く違う指導を受けて、自己主張しあうだけのチームの一員になり、勝った負けたに一喜一憂する生活に。

サッカーをやめてから成長期がきて、プレイヤーとして切望していた「スピード」を手に入れてしまったのは皮肉なものだ。

 

 

高校時代は暇を謳歌した。高校時代に打ち込んだものは?と聞かれて答えに困るぐらいには。

強いて言えば一時期週2ぐらいの頻度で行っていたボウリングかもしれない()

高校時代についてはまた機会があれば詳細に書こうと思うけども、とにかく一言でいえば暇人だった。

 

大学に入学してからも基本的にはそうだ。

最低限の勉強とバイトをし、ゆるいサークルに所属し、自由と暇を消費することに勤しんでいる。

 

 

最後に泣いたのはいつだろうか。

今の僕には、失敗した時に涙を流せるほどの情熱を注いだモノはない。

へらへら笑っているか、ちょっと真面目な顔をしてみるかは、気分次第。

一生懸命何かに打ち込んでいる人を見ると羨ましくなる。

 

それは決して人間的な成熟でも大人になるということでもない、と僕は思う。

もしそうならば大人なんてクソくらえだ。

 

いったい僕の熱意はどこに行ってしまったのだろうか。

 

 

前置きが長くなってしまったけれども、これに関して今僕が持っている仮説はこうだ。

 

(少なくともある一面においては)熱意が行動を生むのではなく、行動が熱意を生むのではないか?

最初の1歩は思いが生むのかもしれないが、行動を継続することによって思いが生まれることもあるのではないか?

3日坊主という言葉がこれほどまでに知れ渡っているのだから、思いがすぐ消えることは当たり前なのではないか?

 

もしそうだとすれば、熱意を生むには、(根源的、欲求的な)思いに関係なく行動を継続する理性が必要だということになる。

熱意がないからダメなのではなく、理性がないからダメなんだ。

自分を律する力の無さが、回りまわって熱意の無さになっているんだ。

 

我ながら耳が痛い話である。

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