【書評】「大衆の反逆」ーオルテガ・イ・ガセット

久しぶりの書評記事。

 

 

オルテガとはどのような人物なのか?

ホセ・オルテガ・イ・ガセットスペインの哲学者です。1833年に生まれ、1955年に没しました。

7歳でセルバンテスの「ドン・キホーテ」を暗唱するなど早熟の天才で、イエズス会の学院で学んだ後、1898年(15~16歳!!)マドリード大学に入学し、1902年に学士号を取得。1904年に哲学の博士号を得ます。

 

その後ドイツへの留学を経て1910年、スペインの哲学界における最高級の地位であるマドリード大学の教授に就任しました。

新聞雑誌に論文を発表するほか数多くの著作を残し、スペインの思想界の発展に大きな成果を残しました。

 

また、第二共和政下において憲法制定議会の議員になるなど政治的活動にも注力します。

 

政治活動において彼の目指したものは「スペインの復活」

1898年の米西戦争の敗北はスペインにとって、植民地の喪失と国際的威信の失墜のみならず、自らが信じてきた歴史的使命の敗北を突き付けられるものでした。

そのような状況に陥った祖国をヨーロッパの水準にひきあげるべく尽力したのが、オルテガを始めとした「98年世代」と呼ばれる若い知識人たちです。

 

講演と著作を通じて「全スペイン人が政治に参加し、堕落したスペイン社会を変形させ再生させる」彼の試みは、しかしながら失敗に終わりました。

厳しい現実に打ちのめされた彼は、1936年の内乱勃発と共にスペインを去り、以後死ぬまで政治的には沈黙を貫くことになるのです。

 

政治的活動はうまくいかなかったものの、その哲学者としての業績は高く評価され、今日まで語り継がれています。

中でも「大衆の反逆」は、1930年に出版されたオルテガの代表的な著作で、当時ヨーロッパに現れた「大衆」の生きざまを批判しつつ、ヨーロッパの進むべき道を示した本です。

 

約90年前に書かれた本でありながら、作中に出てくる「大衆」は現在の一般人にも通じるところが多くあり、今日の民主主義や世論といったものを考えるうえで一定の示唆を与えてくれる本として知られています。

 

 

「大衆の反逆」概要

オルテガは人間を大衆選ばれた少数の人間(貴族)とに分類します。

「大衆」と「貴族」の差異は生まれながらの地位ではなく、人間としての在り方です。

オルテガは次のように述べています。

人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。

 

大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。

 

こうした「大衆」は19世紀末から20世紀にかけて登場します。

近代科学によってさまざまな技術が発展し、一般人の生の水準は大幅に上昇しました。

それまでの一般人の生は、技術の未発展ゆえに様々な制限を課されたものであったのに対し、この時代の一般人の生は今日のものに大きく近づいたのです。

 

しかしそれゆえに「大衆」が登場し、今や多くの人々がそうなってしまったことでヨーロッパ社会に危機が訪れているというのが、この本の主旨なのです。

 

なぜ大衆の登場によってヨーロッパ社会に危機が訪れているのか?

それは上述した彼らの性質によります。

彼らは自分の持っている権利を当たり前のものであると考え、自らの感覚が普通であると考え、学習しようとせず、人の意見を聞き入れず、自らの思想に満足しその中に閉じこもってしまう人種です。

 

それゆえ彼らは自分を疑うことをせず、「なんとなくよさそうなもの」に飛びつきます。

自分の発言や行動に責任を持たず、簡単に身を翻します。

自らの権利は主張するものの将来への具体的なビジョンは持っていませんし、持とうともしません。

 

この本が出版されたのはまさにファシズムが台頭してきた時。

ゆるやかに第二次世界大戦へと向かっていく時代の中で、そんな彼らの姿勢に危うさを感じていたのがオルテガです。

彼ら「大衆」の、そして時代の抱える問題点を明らかにし、その解決策としてヨーロッパの描くべき未来は統合であると示したのです。

 

 

感想・まとめ

本作中にでてくる「大衆」の特徴は今の(日本)社会にも多くあてはまるものだなと感じました。

メディア報道の雰囲気と耳ざわりの良い言葉に流される選挙結果、自らの行動の結果を予測できず繰り返されるいわゆるバカッター、デマを信じ拡散するSNSユーザー・・・

俗にネトウヨやパヨクと言われる人々もまた「大衆」の一例かもしれません。

 

自分たちに与えられている権利や環境が、実際には歴史的文脈の成果であるにも関わらず、与えられて当然のものだという勘違いを犯しているという指摘はまるで私たちに向かって発せられたかのようです。

 

もちろんそれは自分も例外ではありません。

こんなにも便利で情報があふれる社会だからこそ学ばない「大衆」と学び続ける「貴族」の差はますます大きくなってゆきます。

常に満足することなく、「自分と同じものを他者に求めていないか、常に学び続けているか」を自分に問いかけ続けなければならないのでしょう。

今一度「大衆」の1人としての自分のあり方を考えられる本でした。

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