【書評】善人ほど悪い奴はいない

今日はこれについて。

 

大部分はニーチェの著作からの引用に筆者が解釈を与えていくという感じ。

 

たまに筆者の個人的な経験なんかも語られていたりする。

 

まぁなんというか、読後感としては筆者のオナニー本という感じ。

 

まず「はじめに」からして

 

自尊心だけはあるが、何をしてもうまく行かず、あきらめ寸前の若者たちが、数百万の規模で発生している現代日本において、

 

ここはまぁいい。その後に続く

ニーチェがよく読まれる理由もわかろうというものである。

 

現代日本で若者の間でニーチェがよく読まれているなんて話は眉唾というか、全く実感としてそんなことはない。

 

まぁ2010年の本なので、瞬間風速的にそのあたりではニーチェブームが起こっていたのかもしれないが(全く記憶にないけれど)

 

第一章はいきなり弱者の定義から始まる。

弱者とは、自分が弱いことを骨の髄まで自覚しているが、それに自責の念を覚えるのでもなく、むしろ自分が弱いことを全身で「正当化」する人のことである。

 

それに続くのは弱者=善人という図式の導入。

弱者は、攻撃する「前足」が弱いがゆえにこっそり「善良」と裏で手を結ぶ。そのことによって、善良な自分の「正しさ」を揺るぎないものとして確信する。いや、それに留まらない。その裏の論理を高く掲げて、強者を「強いがゆえに悪い」と決め込むのだ。

 

以降、ニーチェの著作からの引用を交えて延々と善人(=弱者)批判が展開されていく。

 

あとがきでは

(前略)

従来の(特にわが国で刊行されている)ニーチェについての本が飽き足らなくなってきた。

(中略)

ニーチェは偉大な哲学者であるが、ヒトラーは極悪人であるという都合のいい線引きに違和感を覚えてきたのである。

(中略)

本腰を入れて現代日本を覆っているこういう欺瞞的状況を徹底的に告発したいのであるが、本書ではまあその「さわり」として、ニーチェは観念だけの危険な哲学者ではなく、その思想の前に(ほとんど?)すべての人間は生きる価値を剥奪されること、だがニーチェという男はじつに弱気で卑劣であったから、自分の思想を実践しようとする勇気がなかったこと、このことを指摘するに留めたい。

 

などともっともそうな理由を述べているが、ニーチェについての誤解を解く、というならば善人批判だけをとりあげるのはアンフェアだろう。

 

それではやってることが同じで、ニーチェは善人批判の人、というイメージを読者に植え付けてしまう。

 

つまるところ筆者が本当にやりたかったのは善人(=弱者)批判のほうで、ニーチェはその隠れ蓑にされたに過ぎないのではないか、というのはいささか穿った見方だろうか。

 

現代日本の大多数であるおバカな善人に対して、(偉大な哲学者であるところの)私が、ありがたいお説教をしてあげましょうというような、筆者の高慢な姿勢が透けて見えるように思われるのは私だけだろうか。

 

 

大学の入学試験問題になった誰かの文章を、出版社が問題集に二次利用するためには作者の承諾が必要らしい。

 

筆者がある出版社からそうした要請を受け、承諾したことに対する出版社からのお礼の葉書に対して、社交辞令ではないかとかみついたエピソードなども紹介されているが、そこから受ける印象はやはり、「大衆とは違う特別な自分をアピールしたい」というような心中である。

 

 

総括すれば、この本はニーチェの入門書などでは断じてなく、ニーチェの皮をかぶって延々と筆者のご高説が展開されるだけの本である。

ニーチェについて学びたいならば、彼自身の著作を手に取るのがよかろう。